対談

対談

conversation

CYUONプロジェクト・メンバー鼎談

「粉体塗装の魅力を拡めたい」という想いから、粉体塗装を活用したプロダクトを作ろうと立ち上げたCYUON(キュオン)プロジェクト。2012年に粉体塗装工場を設立して塗装の内製化を決断してから現在のプロジェクトに至るまでに、私たちには様々な葛藤がありました。そのようなCYUONへの道のりを振り返るべく、ここではプロジェクト・メンバーであるクリエイティブディレクターの平澤太さん、デザイナーの田中行さんともに、鼎談を行ってみました。

一からスタートした、粉体塗装の内製化

杉原 そもそも、このプロジェクトのきっかけというのは、それまで外注に任せていた塗装の仕事をすべて自分たちでやってしまおうと思ったことからなんですよね。

平澤 確か、今(2017年3月)から5年前くらいのことでしたよね。

杉原 リーマン・ショックが起こって数年の時期だったんですけど、少し遅れてこちらの業界にもしわ寄せが来ていて。当時、外注に発注をすると仕事がうまく回らないような状況だったんです。その一方で、僕はそれまで外注に業務内容を指示する立場で、ある程度仕事の仕方も理解していたので、「いっそのこと、自分たちでやっちゃうか」と無理やり工場に設備を入れて塗装をはじめることにしたんです。

田中 それまでも塗装の現場に立つことはあったという話でしたけど、とはいえ内製化とはすごい決断でしたよね。

杉原 最初は自分たちでできる範囲は自社でやっていたんです。でも、そうこうしてるうちに、お金がなくなっちゃいましたから(笑)。外注さんへお金が払えないわけですから、思い切って「全部やります!」という感じですよ。

平澤 周りには止められなかったんですか?

杉原 止められましたね。でも、「いや、できるでしょ」って押し切って。強気ですよね。そこはやっぱり広島県民なので(笑)。

平澤 わかります。僕の母も広島人なので。チャレンジャーが多いんですよね。温暖な気候だからなのか、何事もネガティブに取らないですし。

杉原 「できる」と言いながらも、塗装に関してはど素人でしたからね。我ながら、よく言ったなあ、と(笑)。とはいえ、新しい塗装の技術を勉強して、僕が塗装屋さんに伝えたりすることもあったので、ノウハウに関しては頭の中にあったんです。

田中 当時は現在のメンバーたちはまだいなかったんですよね。

杉原 その頃のメンバーは今とまったく違いました。内製化をはじめたばかりのときはまだ制御盤の仕事もしていたので、うちのカミさんにも手伝ってもらっていました。その後、徐々に塗装業務の受注が増えてきたんですが、ちょうどそのタイミングで今のメンバーのリーダーをしている高橋が入社することになって。彼は塗装経験がなかったんですが、前に一緒に現場に出たことがあったんです。それで、「やってみる?」と声をかけたら、「できます」と。それから塗装するメンバーが入れ替わって、僕が仕事を取ってきて、それをメンバーが全部こなしていくという流れができたんですよね。

 

 

「地元の技術を使って、面白いモノを作りたい」

平澤 粉体塗装をはじめてからわかったことも多かったとか。

杉原 そもそも、粉体塗装には塗料の色の種類があまりないと言われていたんです。でも、ふたを開けてみたらめちゃめちゃあるんですよ。特にドイツにある大手メーカーの塗料の発色がよくて、すごくきれいなんです。「これをもっと活かす方法はないかな」と思い、遊びとして自社のパイプイスに色を付けたりしていました。

田中 パイプイスの他にも、自転車にも着色していましたよね。

平澤 カラフルになったロッカーや一斗缶も見せていただきました。

杉原 あのときは、製缶などスチール素材を加工する外注さんと一緒に仕事をしていたこともあって、「こういうことができるなら、スチール家具も作れるんじゃないか」と思ったり。「身の回りの地元の技術を使いながら、何か面白いモノが作れないか」というのが今回のプロジェクトを意識するはじまりでしたね。

平澤 地元地域から何かを作り出したい、という想いもあったと?

杉原 ぼんやりとありましたね。福山は鉄の街なので、昔から小さい工場や会社が多かったんです。そのイメージがあったので、この地域なら機械加工も、鋳物も、スチール素材のアイテムだったら何でもできるんじゃないかという予感が あったんです。実際、うちもそういう加工会社と何社か取引があったので。そういう人たちと一緒に福山で何かを作れないかなと思っていました。

1 2 3

facebook